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 2004年 夏旅2004
8月11日(水) 前のレポート  |   次のレポート 
夏旅2004 第8日目: BIWAKOビエンナーレ2004
今日は、滋賀県琵琶湖のほとり、近江八幡で行われている、BIWAKOビエンナーレに行ってきました。近江八幡は、近江商人の発祥の地で、昔は商業都市として大変栄えていたそうなのですが、いまはその古い町並みは残しているものの、昔のような活気を失っていました。このBIWAKOビエンナーレは、アートの力を使って、その現状を打開しようというものとのことです。

堀
町はこんなに美しいのに...
 
これではだめなのでは?
もう住む人のいなくなった古い民家や映画館。それらに現代アートの作品を展示し、何かを取り戻そうとするのが、このイベントのテーマのようですが、僕の率直な感想は「このやりかたじゃだめなのでは?」でした。僕の心には、寂しいものしか浮かんでこず、やはりさびれた印象でした。
会期中は多少は人が来て活気が戻るかも知れません。でも、閉幕したら、また、元に戻るだけでしょう。

もっと生き生きとした作品を!
一番いけないのは、どの作品も、退廃的で、死の匂いがし、静的であること。みずみずしさや躍動する生命感は皆無です。もっと生き生きとした作品を置かなければ、止まってしまった町は、何も変わらないのではないでしょうか。

またさらに、作品がほとんで、置きっぱなし、作りっぱなしなこと。美術系の作家とはこんなにも無責任なものなのだろうか。生演奏を重要視する音楽の世界とは対照的です。国民宿舎のグランドに置かれた作品など、最悪。僕は、日に数本しかないバスで、長い時間、高いバス賃をかけていきましたが、草っパラに作りかけの竹の残骸がごろんと転がっているだけ。国民宿舎の受付の人も、あぁそういやそんなのあったなー程度の認識。

また、非常にオタク的だと思う。これは現代アート全般に言えることかもしれない。このコミュニケーション不足の殺伐とした現代社会を変革するには、もっとコミュニケーションするアートが必要だと思う。しかし、どの作品も、作家のコミュニケーション下手を露呈するような自己完結的な作品ばかり。これも音楽の世界と対照的。聴衆とのリアルなコミュニケーションや、音楽家同士のセッションや精神的なつながりを大切にする音楽に比べると、美術の世界は、作家の自己完結的なオタク気質を感じます。そういう作家が世の中にいてもいいと思うし、オタクを肯定化するのもいいけど、イベントのサブタイトルに「アートが人と町を飛躍させる」などとつけるからには、もっともっと、人と人や、人と町が強く結びつき、協同し、閉幕後も持続可能な飛躍につながるような変革を、アートの力でおこさせなくてはいけないでしょう。それができないなら、少なくとも、現代美術より別の方法をとったほうがいいと思う。音楽とか、食べ物とか、郷土芸能とか、スポーツとか。

僕はやります
批判しててもしょうがないので、自分でやります。いつもやっているライブも交感会もそのつもりでやっているけど、より力を注ぎ込みたいと強く感じました。それに、僕にこういったイベントに参加させて欲しい。
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